体質改善

「あきらめないでよかった。」生後2ヶ月でアトピー発症。ミーホちゃんの脱ステロイド体験談

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「あきらめないでよかった。」 by ミーホちゃん
 (生後2ヶ月でアトピー発症 / ステロイド歴4年)

 アトピーで高校を中退。
 「自分が嫌いだし、夢も諦めた。」

 脱ステロイドに取り組み、アトピー改善。
 笑顔を取り戻しました。

 現在25歳(2017年)

 

 

1.生後2ヶ月でアトピー発症。ステロイドを使った4年間。

私のアトピー人生は、生後2ヵ月から
はじまりました。
まだ記憶もない時からアトピー発症。

すぐに母は皮膚科に私を連れていきました。
主治医から
「ステロイドは強い薬だから
あまり使ってはいけませんよ」
と言われて処方されたステロイドを、
母は仕方なく一度だけ使ったことはあったけど、
その後はステロイドを使わないで
アトピーを治そうとしてくれました。

薬以外でアトピーに良いと聞いたものは試してみる。
効果なければ、また違う方法を探して試してみる。
その繰り返しでした。

私が幼稚園の時、母はプールの時間には
いつも見学に来ていました。
プール後に体に塩素が付いたままにならないように、
シャワーで体をよく洗い流すためです。

小学生の頃は、アトピーの出ていた腕に
包帯をして学校へ行っていました。

そんな格好だから
体育の時間に半袖を着るのが嫌だった。

腕のアトピーを人に見られるのが嫌だったし、
包帯を巻いているのも嫌だった。

5年生、6年生になると
自然とアトピーは少しずつ良くなっていきました。

それでも乾燥する冬はかゆかったので、
青い文字で書かれた○○薬品のハンドクリーム
というのを塗っていました。
これも母が用意してくれていたものです。

私は中学生になるとバスケ部に入部しました。
運動が苦手だったけど、
バスケは大好きになって毎日練習をしました。

たくさん汗をかいて、
アトピーは少しずつ良くなっていきましたが、
1ヵ所だけ特に目立つところがありました。
それが手のひらです。

ボールを触るので、
乾燥と摩擦で皮膚が薄くなっていきます。
切れてきて血が出たり、薄いからすごい痛かった。

これが嫌で私は病院に行きました。
そこでお医者さんからステロイドをもらいます。

母と一緒に病院に行っていて、
母は不安そうに私を見ていたのを思い出します。

でも私はステロイドが怖いとも思わず、
早く治したい一心で塗りました。

とくに冬は乾燥するので、
手にべったりとステロイドを塗り、
手袋をして寝ます。
薬は一時的に効いたのですが、
すぐに効き目はなくなります。

アトピーは顔にも出てきました。
見た目をキレイにしたかった私は、
顔にもステロイドを塗ります。

年頃の私には、
顔にアトピーが出ていることが
嫌でしょうがなかったのです。

それでも、ずっとステロイドを塗っている事に
心の底では違和感がありました。
薬の強さにランクがあるのですが、
一番強い薬を処方されるようになっていて
不安もありました。

中学生ながらなんとなく分ってきたことがあります。
ステロイドを塗ってもアトピーは治らない。
だって塗っても塗っても、
またアトピーが出てくるから
です。

でも薬を塗る以外に方法が無かったのです。

ある時、毎月通っていた皮膚科の先生に聞きました。
「いつになったらアトピーは治りますか?」

すると、とっても頑固そうなおじいちゃん先生が、
突然キレたのです。
「バスケなんてやっているから治らないんだ!
バスケなんて辞めなさいっ!!」

私も母もドン引き。
私はムカッとして「それを治すのが医者だろっ!!」
とは言えず…(^_^;)、
心の中で叫んでいました。
もうこんな病院には来たくないね、
と母と帰り道に話したのを覚えています。

薬以外でアトピーを良くする方法を
熱心に探し始めたのもこの頃からです。

私は中学3年生になりました。
夏にはバスケ部も引退。
ここからは高校受験に向けて猛勉強です。

中学生になって成長期だしバスケもやっていた私は、
よくお肉を食べていました。
部活を引退してもお肉好きは変わりません。

受験勉強のストレス、変わらないお肉好き、
お菓子やジュースも大好き、
そんな生活をしていると顔のアトピーも広がってきました。

ステロイドは嫌だったけど、他に手段がありません。
受験勉強もあった私には、
今はステロイドでやり過ごす以外になかったのです。

受験は、なんとか希望校に合格することができました。
 
 

2.アトピー人生を変えた出会い

15歳の春、私は神奈川県の公立高校に入学します。
ぽっちゃり体型で、アトピー顔に、新品のブレザーです。

高校に入っても、
腕はアトピーでいつもガサガサです。
顔にアトピーが出たときは、
ステロイドの弱いものを塗っていました。

薬でその時はきれいになっても、
またアトピーが出てくる。
そしてまたステロイドを塗るの繰り返し。

やっぱりステロイドを使ってもアトピーが治らないなー。

このまま一生アトピーで、
一生ステロイドを使わなきゃいけないんだろうか。
根本的な解決になってないなーと
思うようになっていました。

母も私がステロイドを使っていることが
ずっと気になっていたようです。
ある時、母は街で一番大きい本屋さんに行って、
アトピーの本を一冊だけ買ってきました。

母は家に帰るなり、一気に読み終え、
「みほ、ここに行くよ!!」と見せられたのが、
れのあの本でした。

“自分の力でアトピーが消えた!”
黄色のうさぎちゃんの絵が描いてある、
かわいい本でした。

この時の母は、何か希望を見つけた感じで、
少し興奮気味だったのを覚えています。
私は、母の言うことに従うだけでした。

すぐに母は電話をして、
カウンセリングの予約を済ませます。
 

2008年1月8日。(当時15歳)
カウンセリング当日。

はじめてくる、アトピーくらぶ「れのあ」です。

私はこの日のことをよく覚えています。

もうすぐ自分の16歳の誕生日だったこともあるけど、
私のアトピー人生を大きく変える日となりました。

れのあにはじめて行って驚いたのが、そこの雰囲気でした。
アトピーを治すところって病院のイメージがあり、
暗くて、消毒臭い、なんとなく重い空気なのですが、
れのあのそれは全く違いました。

街の中にあるビルの一角に、れのあはありました。
緑に囲まれた階段を上り、大きな透明ガラスと、
部屋全体が木で覆われた空間は
とても優しい雰囲気がありました。

どんな人が働いているのだろう?
私は緊張でいっぱいです。

部屋に入るなり、
渋滞で少し遅れてしまった私達に、
笛木(ふえき)さんはいきなり
「遅い!はやくして」と一喝。(-_-メ)

初対面でいきなり注意されたことに少し困惑しながらも、
笛木さんのカウンセリングはすぐにスタートです。

笛木さんは私の顔(ステロイドを塗ったキレイな顔)を見て、
「ここ何するところか分かってる?」と、
少し怪訝(けげん)そうにのぞき込み、
私はしどろもどろりに小さく「はぃ…」と
答えるのが精一杯でした。

それは
私が真剣にアトピーを改善する気持ちがあるかどうか
確かめるものでした。
もうステロイドに頼らないという道です。

私は生まれて2ヶ月からアトピーだったこと、
ステロイドを4年間使っていること、
お菓子やお肉が大好きなことなどを伝えます。
すると
「それじゃ、アトピーは治らない。アトピーってね、…」

笛木さんの話は、全て直球。
ズバッと答え、心に訴えかける力強さがあります。

話を聞いているうちに、
この人はアトピー治療に対して強い信念をもっている。
この人は信頼できるかもしれない…。

アトピーを治したければ、やることがある。
食事のこと、生活習慣のこと、サプリメントなど、
アトピー改善に必要なことをたくさん話してくれました。

笛木さんの言うことを一言も聞き逃さないように
一生懸命に聞きました。

カウンセリングの最後に「アトピーは、絶対治るよ」
笛木さんがそう笑顔で言われた時、
私は自然と涙がこみ上げてきました。

腰から力が抜け、なんとも言えない大きな安心感からか、
涙が止まりませんでした。

いままでアトピーであることが恥ずかしく、人目を避け、
遠慮ばかりして生きてきました。
薬を塗っても治らない、一生アトピーかもしれないという
先の見えない不安に希望が見えたのです。

私は決心しました。
ステロイドをやめて、笛木さんのれのあで頑張ろうと。
母も同じ気持ちでした。

カウンセリングの帰り道は、今までにない爽快感で、
母と久しぶりに笑顔だった記憶が残っています。
 
 

3.人生初の脱ステロイド

2008年1月8日(当時15歳)
脱ステロイド、開始です。
れのあに行ったその日からはじまりました。
その当時、身長156㎝、体重56㎏、…太ってる(^_^;)

れのあで習ったことは、まずは食事を変えることです。

主食は、白米をやめて玄米に変える。
お肉はやめて、雑穀や野菜のおかずに変える。
玄米菜食という食事法です。

大好きなお肉、パン、お菓子、甘いスイーツ。
どれも食べられなくなりました。

今までの食習慣が、がらっと一気に変わったのです。

母は一生懸命に食事を作ってくれました。
家族は玄米ではなく、白米だったので、
私のためだけに玄米を炊いてくれました。
おかずも私のためだけに作ってくれました。

脱ステをはじめて2週間もしないうちに、
アトピーは今までよりも出てきました。

でも、はじめてのカウンセリングの時に
「アトピーはひどくなるけど、それがずっと続くわけではない」
と聞いていたので、
あまり深刻にならずに
「まぁ、すぐに治るだろ」と甘くみていました。

そして脱ステ開始して1ヶ月ほどです。
今度は顔にアトピーがたくさん出てきました。
これには凄くショック。

こんな顔じゃ学校に行けない…。
私は学校を休みました。
次の日も、次の日も休みました。
そして家に引きこもり、とうとう登校拒否になりました…。

アトピーは顔だけでなく、
腕、お腹、背中、足、全身へと広がってきました。
全身のアトピーは今まで体験したことがなかったので、
かなり焦りました。
全身がかゆくなり、
なんとも言えない不安や恐怖を覚えはじめます。

このままずっとアトピーが引かなかったら、
私はどうなっちゃうんだろう。

アトピーがひどく何もする気力がありません。
ずっと家に引きこもっていたので体力も落ちてきました。

夜はかゆくて寝られない。
朝方になってようやく寝られるようになっては、
昼過ぎまで寝る。
そんな生活が当たり前になっていました。

そしてストレスは溜まる一方です。
アトピーそのものがストレスだし、
食べたいお菓子も食事も我慢しなくちゃいけない。
そんな我慢が爆発すると大変です。

家にあるポテトチップス、チョコレート、
おせんべい、クッキー、目につくもの全部食べあさります。
食事中は、父や兄が食べる用の生姜焼き、
ハンバーグ、メンチカツなど、
今までの我慢を取戻すかのように食べ尽くします。

そして、その衝動に後悔するのです。
「あぁ、またやっちゃった…」
自己嫌悪です。

これはアトピーの人には、
あるあるの話かもしれませんが、
まさに負のループが完成します。
我慢が限界になって爆発、そして自己嫌悪。
なんど繰り返したか覚えていません(^_^;)

春になり、高校2年生になりました。
アトピーはまだまだ出ていましたが、
気持ち新たに学校に行くことにしました。
約4ヶ月ぶりの学校です。

授業中、足がかゆくてボリボリかいていたんです。

そしたら床いっぱいに皮膚が落ちて
「やばいっ!どうしようー」
ってすごく焦りました。
もう必死に足で皮膚を細かくして、
風で散らばってくれと願うばかりで
授業どころじゃなかったです(^.^)

1ヶ月ぐらい頑張って行ったけど、
またアトピーが悪化してきて、
結局また学校に行かなくなりました。

そして、もっと本気でアトピーを良くしようと思い、
今までは週に1回だけれのあに行っていたのですが、
週に3回行くことにしたのです。

朝かられのあへ行き、
光線に当たり、お灸をしてもらいました。
これが気持ちよくて大好きだったのを覚えています。

ベッドで寝ながら、笛木さんやスタッフさんから
色々なことを教わりました。

むくみがヒドイ時は
「小豆昆布かぼちゃ」
を食べるんだよとか、
お腹を温めたい時は
「梅醤番茶(うめしょうばんちゃ)」
を飲むんだよとか。
他にも色々教えてもらいました。

● 食事の時は、食べる前に梅干しを食べること。
唾液を出して、消化を良くするためだそうです。

● 植物性の乳酸菌を飲むこと。
アトピーは腸の健康が大事。

● 深層海水塩をコップ1杯分お風呂に入れること。
お風呂上がりに、濃い塩水を体にかける。
すごく沁みるから痛かったけど、皮膚が強くなり、
しっとりするから頑張りました。

● お味噌汁には亜麻仁(あまに)油・玉ねぎの渋皮・
ミネラルを入れて栄養を補います。

● アラゴナイトカルシウムを1日3包飲むこと。
骨を強くするためです。

アトピーなのに骨?って最初はすごく疑問でしたが、
れのあで行っている少し変わったイベントに参加しました。
それは「骨ツアー」というものです。
自分の骨の状態を知るため、博多の病院まで行って
レントゲンを撮るのです。

そこで病院の先生から言われたことが、
私の骨はスカスカということです。

アトピーさんに共通している、
仙骨(骨盤)にしっかりカルシウムが届いていなくて、
弱々しい骨が私にも同じように当てはまりました。

首もストレートネックと言われました。
首の骨は、真っ直ぐではなく湾曲が普通なようですが、
私の首は真っ直ぐでした。
ストレートネックということは、
体全体のバランスが歪んでいるために起きるようです。

当時の私はまだ16歳。
まだまだ骨が作られていく年齢だから、
カルシウムを飲めば骨に届いていくよと
先生に言ってもらいました。

忘れないようにカルシウムを飲んで、
運動も必要だから歩こうと思いました。
 

高校2年生の夏。
れのあでは「海に行って日焼け」を皆さんに勧めています。

私は小さい頃から夏はよく海に行っていました。
海へ行くとアトピーでカサカサした肌がしっとりして
「海水はアトピーに良い」となんとなく知っていました。

海で日焼けをすると、海水が沁みて最初は痛いけど、
次第にそれも平気になってきます。
日焼け後は、皮膚が強くなって
アトピーがどんどん良くなっていきました。

このまま治るかも!
と嬉しそうにれのあの笛木さんに報告すると
「また秋になるとアトピーは出てくるよ」
と言われてショック!(+o+)
そして本当に10月ごろにまたアトピーが出てくるのです。
笛木さんの言う通りの反応でビックリ(^_^;)

夏の海で元気になっていただけに、
秋にアトピーが出てきて、
また一気に落ち込んじゃいました。

結局2学期になっても学校には行けず、
とうとう高校2年生の秋、
退学することに
しました。

もう学校には行きたくなかったのです。

長い期間学校に行っていなかったし、
勉強についていける自信もなかった。
アトピーだっていつ治るか分からない。
学校に行けないこと自体がストレスだったし、
焦りにも変わっていた。

家族は反対しませんでした。
とても学校に行ける感じでない私を
ずっと見ていたからでしょう。

今の高校は辞めるけど、
通信制の高校で卒業証書を取ろうと思い退学しました。

自分の人生の中で、大きな決断の瞬間でした。
いま思えば、そんな私の気持ちを
尊重してくれた家族には感謝で一杯です。
 
 

美穂ちゃん2010年10月(脱ステから2年10ヶ月)
高校2年の秋、退学を決めたころ。

 
 

4.アトピーでリンパ液が止まらない…。

2009年1月(17歳)、
脱ステロイドから丸1年が経ちました。

アトピーの状態は全身に出ていて、
赤みや傷がヒドイ状態です。
体重は去年より7kg減って49kgです。

体の冷えも強く感じるようになっていました。
とにかく寒いので、暖房をつけて、
さらにストーブの前で丸まっていました。
肩にはいつも力が入っていて、
全身はガチガチで肩こりもひどかったです。

呼吸も浅いからリラックスできず、
神経が過敏で気が立っているような状態です。
生理も止まっていました。

皮膚の落屑(らくせつ)もひどかったです。
私が歩いたところ、座っていたところには
白くて細かい皮膚がいっぱい落ちるんです。
お布団も皮膚だらけ、はたくと皮膚が舞います。
お風呂も私の皮膚がいっぱい浮いていました。
次の人はとても入れません。

そんな状態で迎えた春。
私はいままでに体験したことがないような、
リンパ液(浸出液・間質液)の爆発が起こります。

全身からリンパ液が出て、一日中止まらず、
服が濡れて体が冷えるほどです。

特にひどかった所が、ヒザから下と、ワキ、胸です。
夜寝ていても、リンパ液が止まらないので
パジャマもシーツもびっしょり。
布団にもしみていました。

リンパ液のせいで、
何枚もパジャマやシーツがダメになり、
敷布団も変えたほどです。
さらにリンパ液は、匂いがキツイのです。
雑菌の匂いとも言われていますが、
体液独特の臭いはなんとも言えません。

リンパ液でグジュグジュになった皮膚に、
太陽と同じ光の性質の「光線」という機械を当てていました。
これを使うと皮膚が乾いてくるので毎日使っていました。

そして、ちょうどこの頃です。
れのあに新しいモノが登場しました。
「タカダイオン」という体に電子を入れる機械です。
日本に原爆が落とされた時に、
原爆症の治療に使っていたようです。

今では水素や電子治療器の効果性が
少しずつ広がってきましたが、
2009年ぐらいの時は非常に珍しい機械だし、
新しい治療法でした。

今年の夏は、高卒認定の試験をすると決めていたので、
なんとか勉強ができるぐらいには回復したいと思い、
タカダイオンを購入しました。
そこから毎日のように何時間も使いました。

タカダイオンの効果もあったのか、
夏が近づいてきたからなのか、
リンパ液は少しずつおさまってきました。

その頃は、通信の高校へ電車で
1時間半もかけて行っていました。

車内は冷房がきつくて、
特にヒザ下はまだリンパ液が出ていたので
冷えて寒かったです。
夏なのに学校では私だけ厚着だったので
クラスでは浮いていましたね(^_^;)

その頃の生活は、週2回学校に行きながら、
天気がいい日は海水浴。

やっぱり海の季節は最高です!!
海に行くたびにアトピーは良くなり、
勉強も出来るようになったので、
無事に高卒認定を取ることができました♪

まだ同級生は高校3年生でしたので、
私はみんなより一足先に卒業
です。

高卒認定がとれた夜、家族みんながお祝いをしてくれて、
少し豪華な和食レストランに行ったのを思い出しました。
 
 

5.日焼けでヤケド!うつ病にもなりました。

2010年1月。
脱ステロイドからまる2年
が経ちました。

このころから、少しずつ精神的に病んできたと思います。

というのも、脱ステロイド&れのあ式を
2年も頑張っているのに、
なかなかアトピーが良くならない現実に
嫌気がさしてきました。

当初は1~2年で治るだろうという
軽い気持ちだったので、
私の理想と現実との差が激しかったです。

私は脱ステロイドの大変さを思い知りました。
こんなに大変で時間がかかるものなのだろうか。
他の人はれのあ式でよくなったというけど、
私には合わないんじゃないかなぁ。

色々なことに疑心暗鬼になっていきます。

それも、私は今までに経験したことのないほど、
手の平のアトピーが大変になっていた
からです。

手のひらの皮膚がどんどん剥けていって、
一週間ほどで手のひらは真っ赤になりました。
さらに、指の切れもひどくなりました。
驚いたのは、手相に沿って切れていくことでした。

とてもかゆくて、掻いてはリンパ液が出たり、
とても痛かった。
手を思い通りに動かせず、
グーにすることもパーにすることも出来ず、
物を触ったり掴むことも、痛くて
出来なくなりました。

そんな状態なので、いつも綿の手袋をつけていました。
れのあの高級なオイルを、
まるでハンドクリームのように頻繁に手に塗っていました。
この冬だけでも十数本は使いました。

この時は、もちろん全身にアトピーは出ていました。
皮膚の落屑もひどかったです。
そして、髪の毛がだんだん減っていき、
生え際が後退していくのです。
笛木さんは、また生えてくるよと言ってくれていましたが、
このままハゲるぅー!と本気で心配しました。
頭皮もボロボロ落ちるし(^_^;)

首もあちこち切れて動かせなかったので、
カクカクとしたロボットのような動きだったと
母に後から言われました。

この年の3月末、同級生達は高校を卒業。
みんな大学に行ったり就職したりと、
新しい春を迎えているのに私は家に引きこもり
です。

春から夏まで家に引きこもり、
7月になって海開きすると私はすぐに海に行きます。

アトピー治療の毎年恒例の海です。
その日はお天気も真夏日で日焼けには最高でした。

久しぶりに日焼けをしたその夜です。
体が重い…。
寒気がする…、頭痛…、熱も出てきました。
日焼けした皮膚は水ぶくれ状態。
太ももから足の指先、背中や肩が日焼けを通り越して
ヤケドになってしまいました。

あわてて氷で冷やしましたが、
次の日はさらにひどいヤケド状態です。

慌ててれのあに電話です。
するとすぐにお店に来てと言ってもらえました。

その日は予約していなかったのですが、
見てもらえることになりました。
私は痛くて歩くのもやっとの状態です。

ヤケドの原因は、
「去年よりも皮膚の下の水分が抜けたから
日焼けしやすくなって、ヤケドしてしまったんだよ。
去年よりアトピーは良くなってきてるから、
しっかりとお日様まえのクリームを塗ってね。」
と笛木さんは教えてくれました。

今まで、海で焼いても焼いても、
なかなか日焼けしなかったのですが、
アトピーの状態はどんどん変わっていって、
毎年同じようにしていてはダメなんだなと思いました。

それは、私の足のアトピーが良くなってきているかも
と思える出来事でした。

それでも夏が終わると、
少し良くなった手の平のアトピーは、
またひどくなってきます。

良くなっては悪くなる。
そんな先の見えない状態に、私も母も気持ちが落ちます。
今年もまた手のアトピーで辛い思いのするのかぁ。
もう一生治らないんじゃないか。
いつまで苦しめばいいの?

そんな落ち込んでいる時に、笛木さんから、
細胞内検査とレントゲンのため
香川県にある病院へ行こうと誘われます。

体力もなく、体もしんどかったのですが、
母と二人、深夜バスで行きました。
現地で笛木さんと合流し、病院で細胞内検査というのを
行いました。
細胞の元気度を測定するものです。
私の状態は、案の定というか、やっぱりというか、
元気がない状態でした。

細胞を元気にするために、
堀口先生が作った還元電子という機械を購入しました。

還元電子の購入は最後のかけでした。
もうこれしかない。
とにかく還元電子に当たりました。
初めは好転反応なのか、一気にリンパ液が出はじめ
体もかゆくなりました。

それでも毎日当たると、
少しずつその症状が治まってきました。

少しアトピーが良くなり、このままいけば治る!
と期待していたら、また停滞していきます。

この頃から、私の精神状態はどんどん悪化していきます。
一日中泣いたり、かゆいってわめいたり、
とにかく泣いてわめいて…。
そして何もやる気がなくなります…。

私の毎日は還元電子に当たるだけ。
お昼に起きて、あとは家でボーっとする。
散歩もしていませんでした。
家にいて、ただ座っているだけ。
週に一回れのあに行くだけ。

動かなくなった私の体は、次第にむくみだします。

今までもむくむことはありましたが、
この年は今までにないほど足がパンパンになります。
歩いても転びそうになるほどで、
本当にどうしようと不安になりました。
還元電子を当てているのに…なんで?!
還元電子は最後の賭けであっただけに、
めちゃくちゃ落込みました。
 
 
taiken_miho-12010年8月(脱ステから2年8ヶ月)
高校を中退した頃。
荒れている手。
人に見られるのが嫌でした。

 
 

taiken_miho-22010年8月(脱ステから2年8ヶ月)
全然良くならない。。。

 
 

taiken_miho-32010年11月(脱ステから2年11ヶ月)
落ち込む一方。
なにもかもが嫌になっていました。

 
 

当時19歳。
私は脱ステロイドからまる3年が経ち、
4年目に入りました。

2011年3月11日
私は母と自宅のアパートにいました。
もの凄く揺れたので家にいては危ないと思い、
慌てて外に出ました。
原発のこともあり現実に起きていることなのか、
テレビの光景は信じられないものでした。

放射能の問題が起きて水道水が飲めなくなり、
近所のスーパーに行ってもミネラルウォーターは売切れ。

どうしよう…、そう思ってれのあに行った時に
笛木さんに飲み水のことを聞いてみました。
すると、
「自分のことより、
もっと大変な思いをしている人がいるんだから、
その人達のために何ができるか考えなさい!」
と怒られました。

そうは言ったって、自分の身体だって大事だし…
と思っていましたが、
笛木さんが被災地にボランティアへ行ったと聞きました。
笛木さんから見せてもらった現地の写真を見て、
私もこの光景を忘れてはいけない、
自分も困っている人の助けになりたいと思いました。

でも今の体の状態でボランティアに行っても足手まとい。
そうか、まず体力を付けなくちゃならない。
そう思ってまずは散歩をすることから始めました。

散歩初日です。
私は信じられないくらいに体が弱っていました。
のろのろ歩いて10分。
限界でした…(^_^;)
たった10分のお散歩で、翌日は全身筋肉痛。
あまりの情けなさに笑えてきます。

それでも毎日少しずつお散歩、
ストレッチと体作りをしていきました。

自分はアトピーを治すんだ!
そして困っている人の助けになりたい!

そう意気込んではじめた体作りで、
私は少しずつ体も心も元気になってきました。

そんなイイ感じで頑張っている時に、
最悪なことが起こります。
この時、人生で一番精神的に辛かったと思います。

5月のある日、当時住んでいたアパートの隣に、
若い夫婦と小さい子供の三人家族が引っ越してきました。

なんと、この日から私は寝不足になります。

とにかく隣の家族がうるさい。
笑い声ならまだいいのですが、
子供をしかる母親の声、子供の泣き声、夫婦喧嘩の声…。
ネガティブな叫び声が昼夜問わず聞こえてきます。

私はついに限界に達し、
「ギャーーーーーーーーっ!!」
と突然叫びだしました。
泣く!わめく!!叫ぶ!!!

もう完全に頭がどうかしています。
「もういや、死にたい!!」が口癖になり、
毎日叫んでいました。
とにかく大声で泣いてわめいて。

今なら分かります。
私は「うつ」でした。
その時、たまたま読んだ“うつ病”の本で、
その症状が全部当てはまったからです(^.^)
うつの初期なのか、重症かは分りませんが、
とにかく精神が病んでいました。

母もこの時、いきなりおかしくなった私を
見守ることしか出来なかったといいます。

幸いにも私達は新居に引っ越すことが決まっていたので、
お隣さんともサヨナラできました。
新居に引越してからは私の精神状態も
落ち着いてきました。
 
 

taiken_miho-42011年6月(脱ステから3年6ヶ月)
まだ肌は荒れているものの、
だいぶ良くなってきました。

 
 

6. アトピーが良くなる光

2012年1月。
脱ステロイドからまる4年が経ちました。

手のアトピーはところどころ切れるだけで、
いつものリンパ液のひどい状態にはなりませんでした。
そして顔の赤みが少しずつ引いてきたのです。

でもアトピーは
良くなっては悪くなるの繰り返しだったので、
少しぐらい良くなっても喜ばないように、
期待しないようにしていました。

しかし、この頃から
私のアトピーは確実に良くなっていったのです。

(脱ステから4年。長かった(^_^;))

春になると、さらに顔が白くなっていったのです。
私も、
あれ?これは本当に良くなってきているんじゃないか…。
れのあに行けば、「顔がきれいになったね」と
声をかけてもらえるようになります。

たまに少し赤くなる時もあったけど、
いつもよりすぐに赤みが引いていくのです。
赤みが次第に引いていき、皮膚の落屑も落ちついてきて、
肌はきれいになってきました。
髪の毛も生えてきました(^.^)

そして、気持ちも明るくなってきて、
前向きに生きられるようになってきます。

手がきれいになったのです♪
ほんとに嬉しかった。

私は外に出たくなり、車の教習所に通うことしました。
免許をとれば、母に頼らずに自分の好きな時に海にいける!

私はそれから2ヶ月で免許を取ることができました。
夏までに間に合った!
多い時は1週間に2回のペースで海水浴場に行きました。
ヤケドに注意して、しっかりとスキンケアをしながら日焼けです。
気が付くと、昔よりもアトピー用化粧品の減る速さが
ゆっくりになっていました。

私の皮膚は、確実によくなっている!

夏が過ぎ、アトピーも良くなって油断したのか
食欲が止まりません。
今までの我慢を取戻すかのように、
お腹いっぱい食べる生活を繰り返していたら、
あっという間に太って50kgを超えてしまいました(^_^;)

笛木さんにも
「太り過ぎだよー。やせないとアトピー出てくるよ。」
と言われちゃいました。

そして9月のある日です。
もう何年振りになるだろう。
久しぶりに生理がきたのです!

普通の生理用ナプキンはかぶれて
かゆくなるのが嫌だったので、
布ナプキンを探しにいきました。

お母さんも一緒に喜んでくれて、
「今夜はお赤飯だね♪」なんて冗談も言うほど
嬉しかったです。

生理がきたということは、
体が元の状態に戻っていってるそうです。

アトピーはもっと良くなっていく!
そう思うと嬉しくてたまりませんでした。
 
 

taiken_miho-52012年10月(脱ステから4年10ヶ月)
手がこんなに綺麗になりました。

 
 

taiken_miho-62012年10月(脱ステから4年10ヶ月)
顔も綺麗になりました。

 
 

12月から私はアルバイトをはじめます。
仕事内容は単純作業ではあったけど、やっと社会に出られる!
私も一人の社会人として世の中に出られる嬉しさと、
アトピーがここまで良くなったんだ
という嬉しさがありました。

今年の冬は暖かいと思えるほど、
私の皮膚は強くなっていました。
風を受けても痛くない、丈夫な皮膚まで回復していました。

そして、脱ステロイドからまる5年。
2013年になりました。

私は元気になりました。

脱ステ、れのあ式をはじめてから、5年。
私は5年ぶりにスカートを履きました。

スカート姿でれのあにいくと、
笛木さんは「みほちゃんっ!」って満面の笑みで
喜んでくれたのを覚えています。
その時の笛木さんの笑顔は一生忘れません。

たまにアトピーが少し赤くなる時はあるけど、
私はもう落ち込みません。
必ずよくなる。

昔は、ずっとウジウジしていました。
アトピーが悪くなるとすぐに落ち込む。
いつもマイナス思考で、私に起きる嫌なことを
全部アトピーのせいにしていました。
そして、家族に八つ当たり。

私はアトピーの自分が嫌いだった。
こんなのは本当の自分じゃない。
だから友達付き合いもやめた。

さんざん泣いて、落ち込んで、
落ちるところまで落ちたら、
次は前を向くしかなかった。

私はアトピーが悪化してから、
ずっと友達の誘いを断っていました。
でもアトピーが良くなり、
久しぶりに会ってみようと思ったのです。

そして、勇気を出して、
今までのアトピーのことを友達に全部話しました。
ひどかった時の写真も全て見せて。

アトピーのことを話すことによって、
何かが変わる気がした。
一歩踏み出せるような気がしたから。

その時からかもしれません。
アトピーである自分を、
アトピーでもいいよって、
自分自身を受け入れられるような感覚を
感じ始めました。

そして、自分のことが好きになっていきました。

それは、ここまであきらめないで
アトピーと向き合い頑張ってきたこと。
あきらめなかったこと。
努力したこと。
こんな辛い体験を乗り越えようとしていること。
死ねる病気ならよかったと思ったこともあったけど、
いま私は生きている。

そんな自分をほめてあげてもいいんじゃないかな。
そう思えるようになりました。

私は、脱ステロイド、アトピー改善まで
5年かかったけど、私なりに分かったことがあります。

誰でもアトピーだと気持ちが沈みます。
でも沈めば沈むほど、アトピー改善からは
遠ざかっていきます。

アトピーの自分から目を逸らしていても、
向き合わなければいけないことから逃げても、
なにも解決しません。
改善の近道を決めるのは自分の気持ちだと思います。
何度やり直してもいい。
勇気を出して進んでみましょう。

今辛いこと、どうしていいかわからないこと、
独りじゃないです。
家族がついています。
れのあがついています。
アトピーの仲間たちがいます。
私も何度も助けられました。

勇気を出すチャンスはすぐ目の前にあります。
一歩ずつやっていけばいい。
誰も独りじゃないです。

脱ステロイドとアトピー改善は
いろいろなことを私に教えてくれました。
こんなアトピー体験をした私は、
これからはどんな事にでも
チャレンジ出来そうな気がしています。

どんな夢を持って前に進んで行くのか、
今は自分自身の可能性にワクワクしています。
 

(体験談 終わり)
 
 

taiken_miho-72013年春(脱ステから5年)
スカートを履きたいと思えるほど
元気になりました。

 
 

taiken_miho-92017年5月(脱ステから9年)
現在の私。

 
 

7. 私が効いたと思うアトピー改善の方法

最後に、私が実際に経験して良かったことを
お伝えします。
皆さんに有効であるかは分かりませんが、
ヒントになったら嬉しいです。

□ 白米から玄米に変えた。
□ 小麦粉・砂糖・卵・乳製品・お肉・お菓子を
食べないようにした。
□ サプリメント(カルシウム・乳酸菌・水素・糖鎖)
□ 運動(散歩)を1日60分した。
□ 酸素カプセルに入った。
□ お風呂に塩を入れた。(深層海水塩 入浴剤)
□ スキンケアをした。(れのあの基礎化粧品)
□ 電子治療器を使った。(タカダイオン・還元電子)
□ 海に行って日焼けをした。
□ 心の問題を解決した。
□ 綺麗になりたいという前向きな気持ちを心掛けた。
□ 一人で悩まずにれのあ・家族・友達に相談をした。

アトピーが治るには時間がかかるけど、
治らない病気ではないと信じています。
この体験談が誰かの勇気になったら嬉しいです。
長文をお読みくださり、ありがとうございました。

(ミーホ)
 
 

<アトピーくらぶ れのあより>
*アトピー性皮膚炎に関する治療やお薬に関する見解は、
   医師または本人の責任にてご判断ください。
*本文記載内容(写真含む)の転用・複製をお断りしています。
*体験談の中には、現在れのあが行っている施術・設備とは
   一部異なる部分があります。
   また、食事の理論や生活全般に関するヒントも
   当時とは異なる部分もあります。
*最新の情報は、セミナーにてお伝えしています。(更新日:2017.05.12)
 

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「アトピーの前よりきれいになりました。」5ヶ月で職場復帰したエイコさんのアトピー体験談

エイコさん

「アトピーの前よりきれいになりました。」 by エイコさん
(35歳からアトピー発症 / ステロイド歴なし)

2009年、忙しく広告業界で働いている最中、アトピー発症。
偶然れのあの本と出逢い、自宅で体質改善をスタート。
5ヶ月で職場復帰。
その後、結婚・出産、呼吸法のインストラクターに。
「今度はアトピーさんを支える側に立ちたい」
自分らしく人生を生きるようになりました。

その後、8年たつ現在もツルピカ肌を維持。

 

 

1.仕事に忙しく、体が悲鳴を上げ始め、アトピー発症

わたしは今から8年前、
35歳の春(2009年)にアトピーが発症
しました。

10年続けた雑誌の編集者から、
広告業界へと仕事を変えて3年目。

編集者時代も忙しくしていましたが、
広告業界での仕事は、広告の企画に制作、
金額の調整などを行っていくという仕事。
常に大きな金額の交渉、交渉、交渉。

しかも、本社は関西でしたので、
東京での仕事は私ひとりで決めていました。
「私しかいない。代わりはいない」
という責任感とプレッシャーから
緊張状態の毎日でした。

毎年春は新作発表と同時に、
現地でのメディア対応、広告の企画制作、
ブランドの会報誌制作などの他、
じゃんじゃん回ってくる原稿をチェックしまくる毎日。
自分で書く原稿もある。
それに取りかかれるのはやっと22時過ぎ。
終電で帰れるか、帰れないか。そんな毎日。

そんな訳で食事もいい加減。

便利だからとコンビニ弁当やファーストフードを
よく利用していました。
コンビニスイーツも新作が出るたびに買っては食べる日々。
甘い物は忙しい自分へのご褒美だからと
いつも楽しみに食べていました。
ごはんの代わりにお菓子やパンを食べる時もありました。

こんなんじゃヤバイかも、とさすがに思った時は、
コンビニのカット野菜を食べて
「体に良いことしてる♪」と思っていました。

今考えると恐ろしい食事内容でした。

その、まっ只中のことでした。
顔に吹き出物がポツポツとしばらく出ている状態でした。

緊張興奮状態が長く続きすぎて、
気が上にあがりきっていたんでしょうね。
その頃、いつも顔が赤かったような気がします。

半年ぐらい前からは背骨に沿って吹き出物が出ていました。
いくら整体でほぐしても癒されない腰の痛み。

肉体的には限界でした。

 

2.本屋で手に取った本が、アトピー改善の分岐点

ある日、途中下車していつもの本屋に寄り、
数日前から急に痒くなり始めた首の後ろを気にしながら
店内を歩いていたら、ある文庫の棚に1冊、
なんだか大きめな本がはみ出してささっていたのです。
ふと手に取ってみました。

その本は、
かわいらしい女の子が描いてあるピンクの文字の表紙で
『自分の力で アトピーが消えた!』というタイトル。

自分でアトピーを治すための本? へぇ。
アトピーの本って、東洋医学の先生が書いてる
文字だらけで分厚い本のイメージがあったけど、
なんてかわいらしい本なの。
しかも文字が大きくて読みやすいこと!

なんとな~く体のあちこちが痒くなり始めていたけれど、
まだ 自分の体の中に「アトピー」の認識はありません。

少し読んでみると、この本に登場する女性が、
私と同じ業界でハードに仕事をしていた人でした。
読み進めるうちに自分とかぶると思い、
そのめちゃくちゃな生活ぶりに、
そりゃアトピーになるわ…と思いました。

「皮膚は排泄器官」「ストレス」
「血行が悪くなって体温が低下」

……ん? んん?!
春だっていうのに
私しばらくずっと寒くてしかたないんだけど?
この痒いの、汚れた体内の排泄なの?!
え、私もう排泄が始まってるの??

“ 私たちの3大排泄は、
「尿・便・生理(男性は体毛や汗)」です。
その機能がきちんと働かず、またはあふれて
「皮膚から異常な排泄」をするのがアトピーです。

体温が高い人は、
老廃物を「汗」や「ニキビ」で出すのでしょうが、
免疫力の弱いアトピーさんは体温が低めなので、
「アトピー」で出します。”

まずいーー! これ、私のことだわ…!!
え、困る、繁忙期、繁忙期、仕事パンパン、困る、困る。

頭はうろたえながらも、
体はもう悲鳴をあげている状態だったので
完全に自覚があるわけです。
夢中で読み進めます。
アトピーのメカニズムがわかってくる。
すごくシンプルな仕組みなんだとわかってくる。

皮膚からアトピーとして出さないためには、
正常な3大排泄(尿・便・生理)に戻していけばいいのね。

そのためには、食を整えて、しっかりした骨を作って、
血行を良くして体温を上げること!

もうずっと便秘気味とは感じていたけれど、慣れちゃってた。
ため込んでるってマズイことなんだ・・・
ためこんで、アトピーで出したくない…!
便を出すってやっぱりとても大事なことだったんだ。

「骨」が「免疫」に関係あるなんて!初めて聞いた。
「食」と「温める」だけでなかなか治らなかった人たちは、
「骨」を丈夫にすることで良くなって、
再発もしなくなったんだ。

牛乳もカルシウムを摂るのに良いと思っていたけど、
そうじゃなかったんだ。
私けっこう好きで飲んでたんだけど(涙)

一般的なカルシウム剤も、実際はよく知らないと
かえってカルシウム不足になっちゃうんだ~怖いなぁ。

アトピーも「ドロドロ」とか「ヤケドの手当て」とか
衝撃的な表現で、でもだからこそわかりやすい。

内側から変えていくだけじゃなくて、
外側からのケアも大事なんだ。
代謝を上げるような化粧品もあるんだ。
アトピーの跡が残らなくなるんだ。

歩いたり、入浴してじっくり汗をかくことも必要!
私まったく歩いてなかったなぁ。

その場で読み終えました。
もちろん買いました。

なるほど。ひどい状態だとこんなになるんだ。
でもこうしていけば改善するんだ。
ツルピカになるんだ!前よりも! 治るのね!オッケー!
私、これからこうなるんだ。…… よし、やろう。

アトピーのことを詳しく知らなかったので、
それは衝撃の内容だったけど、
とにかくすべてがストレートに書いてあると思った。
本質的なことが書いてあると思った。

全部自分のことだと直感して、
これからのことを覚悟し始めました。

そして、家に帰ってお風呂に入って
少しホッとしたと思ったら……
みるみる顔が熱くなってきて真っ赤っ赤。
熱も一気に上がったので寒気でも震えました。
顔と頭の血管が爆発する?! っていう勢いだったので、
救急で病院に駆け込みました。

と同時に、仕事の関係者あちこちに連絡をとって、
抱えていた仕事を謝ってお願いしました。

とにかく休みたい。
心身のスイッチ切りたい。
まずい、まずい、死んじゃう。
こんな感じで、爆睡しました。

目を覚ましたら、ベッドの中でも
顔が腫れ上がっている感覚がありました。
おそるおそる鏡を見るともう全くの別人でした。

でも私はあの本を読んでなぜか治す自信がありました。

大きい期待があったので
病院でのステロイド薬はお断りして、
実家に戻って手当を始める
ことにしました。

極限状態だったので決断も迷いなしでした。

 

3.仕事を手放し、アトピー改善への取り組みスタート

さあ、手当のスタートです。
とにかくストレスの大元だった仕事を手放したので、
もう全力でアトピー治療に専念できます。

仕事を手放して病人になる準備が整ったら、
体が緩んだのでしょうか。
炎症は首から顔に上がり、
それから手足に下りていくように
一気に広がっていきました。

アトピーは「広がって、薄まって、治っていく」こと。
そして、排泄が起きる順番、治っていく順番があること。

良くなってくると、
顔から下にだんだんとアトピーが下りて行き、
足まで行って、
まだ老廃物が残っていたらまた顔に出て・・
を繰り返すこと。
最後に残っている首のアトピーが消えていき、
顔にニキビが出るようになったら本当に最後。

笛木さんの本に書いてあった通りのことが
自分の体に起きていくので、
ここで本の内容への信頼がさらに増しました。

寄りどころがある安心感を確認しつつも、
真っ赤に腫れあがった皮膚を前に
オロオロしっぱなしでした。
顔が、体中が、熱い、赤い、かゆい、寒気もある。
パニックです。
生まれて初めての経験です。

そんな中で、やることを決めていきました。
アトピーは皮膚の病気じゃない、内臓の病気なんだという
目からウロコのメカニズムを本で知り、
体感もあったので、
とにかく内臓の負担を減らす事にしました。

消化に使うエネルギーを減らして
治癒のエネルギーに回そうと、
食べる量を一気に腹5分目ぐらいにして、
とにかくよく噛んで噛んでドロドロにして
飲み込むようにしました。

そして、アトピー大爆発の前から
しばらくゾクゾク寒かったのが、
低体温になっているせいだと、
これまた本で衝撃を受けてピンときたので、
体を冷やすものを一切やめ、
体を温めるものを中心に食べました。

主食は、白米をやめて「玄米」に変えました。
「米が白い」と書いて「粕(かす)」ですと(汗)。
白米は栄養が抜かれた力のない食べ物だったんですね。

野菜なら、葉野菜よりも「根菜」が体を温めてくれるそう。
その皮には消化を助ける「分解酵素」が
入っているそうなので、剥かないこと。
剥かないのは、料理の手間が省けてラクチン(笑)
ただし、丸ごといただくので、
農薬を使っていない有機や自然農法で作られたものを
探しました。

調味料も
昔ながらの製法で作られた安全なものを揃えました。
家にあったお醤油の成分を見てみたら、
添加物の入ったお醤油でした。
体を作る物なので潔く捨てました。
本物のお醤油は、
腸内環境をととのえるお薬のような物ですと。
たしかに!

お醤油の他、腸内環境を助けるために、
ぬか漬けや納豆、味噌など発酵食品を
多く摂るようにしました。

肉や揚げ物も内臓の負担になるのでやめました。
食べるなら魚や貝を選びました。
調味料もちゃんとしたものを使ったら、
今までより塩焼きや煮魚が美味しく感じられました。

油も、「亜麻仁油」などオメガ3系と言われる油を
選ぶようにしました。
それまでなじみのなかった油でしたが、
血管のお掃除をしてくれたり、
女性ならホルモンのような働きをしてくれたりと、
積極的に摂ってほしい油だそう。
加熱しないでいただく油なので、
味噌汁にそのまま浮かべたり、
ドレッシングにしていただきました。

大好きなパンやケーキも、
やはり白砂糖・小麦粉・乳製品・卵・添加物が
入っている物が多く、体を冷やすし負担もかかるしで
一切やめました。

外食も、外に出かけることさえ出来なかったし、
炎症がひどかったので一切しませんでした。

「食べたもので体は作られている。」
「口から入れるものは、
これから私の皮膚を作っていくのに必要なものだけ。 」

迷いなく実行しました。

玄米や根菜のおかずを
じっくり噛んで食べるとほのかに甘味も感じられ、
思ったよりも満足度が高いことにも驚きました。
何よりも、自然な素材で作られた食事は、
体が喜んでいる、本当に美味しい、と感じました。

実際、食べた物でその後の皮膚のかゆみは
まったく違いました。
「食べた物で、体の反応は違うものなのか?」
と興味本位で、実験で甘い物を多めに食べてみました。
久しぶりのチョコレート、クッキー。

その直後、すぐに皮膚の表面が熱くなって
猛烈にかゆくなりました。で、反省しました(笑)
「アトピー治療が終わるまでは、
やっぱりヘンな物は食べない!」
とこの時に決めました。

おやつに、かぼちゃやサツマイモ、小豆煮などは
よく食べました。
また、玄米をお焼きにしたり、
添加物を使っていないおせんべいを選んで食べたりしました。

仕事を辞めてからは、実家へ戻っていたので、
母がすべて料理を作ってくれました。

私が「アトピーを治したい。こんな食事がしたい。」
と言ったことをすべて受け入れて作ってくれた母。
父も母も、「美味しいね」と、
私と同じ食事で過ごしてくれました。

特に父は外食で息抜きはしてたのかな~と思いましたが
両親からの愛情を感じました。

おやつも、ひとり暮らしだったら、
大好きだったお菓子の誘惑に負けていたかもしれません。

 

4.アトピー前よりもツルピカできれいになった私

自宅で手当てする!と決めてからは、
とにかく集中してやってみよう!と毎日を過ごしました。

夜は細胞の再生が活性化する9時には眠り、
朝6時頃目覚めるようにしました。
もちろん、かゆくて痛くて眠れなかったり
眠りが浅いのは当たり前でしたが、
早寝早起きを心掛けました。

猛烈にかゆくなったら、とにかく深呼吸を繰り返しました。
たまらなくなって泣くと、すごく緩んで眠れたりしました。

そんな中で、生まれて初めて、
かゆみの発作のようなものも経験しました。

お風呂上がりの、魔の数分。
ぅぉおおおおおおおおお!
かゆい! 痛い! 寒いいいいいいい!

かゆいのも表面的なかゆみとは違い、
掻いてもおさまりません。
内側からかゆみが湧いてくる感じです。
傷は痛いし、リンパ液が出たり傷が深い時は
皮膚がない状態になるので、
とても寒いんです。
皮膚は体温の調節機能もあるのですね。
皮膚がないと掻きたくても掻けない。
でもかゆいし掻きたい。
泣き叫びながら、心も体もクシャクシャになりました。

その時、反動でふ~っと力が抜けて放心状態になり、
ふっとひらめいたことがありました。

「細胞さんは、1分1秒がんばって
再生を続けてくれてるんだ。
せっかくがんばって再生して皮膚を作ってくれているのに、
私がかゆいからって掻きむしったら
またゼロスタートじゃん!
細胞に協力するんだ!」

それから、かゆいから掻くのではなくて、
かゆいけど掻かずにやり過ごす方法を
あれこれと考えるようになりました。
考えるというより、体で実験していく感じで。

そうだ!と思い出して、
本に載っていた「レモンの煮汁」
というレシピ(食の処方箋)を
作って飲んだら、かゆみが引いていきました。

これは試してみてよかった!

それからは、かゆい時のために、
冷蔵庫に国産の有機レモンを常備しておくようになりました。

レモンが無い時は、とにかく気持ちのいい深呼吸を
繰り返して自分を緩めるという方法をしていました。

また、笛木さんの本で、
とにかく歩くことの必要性も響いていたので、
毎日のように歩きました。

とはいえ、外に出るなんてとてもできず、
手当の間はほとんど家の中で過ごしていたので、
家の中で、足踏み30分です(笑)
好きな音楽をかけて、小さい庭の緑や外の景色を見ながら
気持ちは外に向け、じんわり汗をかくぐらい
足踏みをしました。
慣れてくると気持ちよくて楽しくてクセになりました。
 

こんな感じで毎日を過ごしているうちに、
体調にも変化を感じてきました。

今までは3~5日くらい便が出ない日があっても
当たり前(!!)になっていたのが、
毎日出るようになりました。
食事を変えてから、わりとすぐに感じ始めました。

だんだん1日でも出ないと
気持ち悪く感じるようになりました。
出ない日があると
「なんでかな?」と考えるようになりました。
するとやっぱり理由があるんですね。
歩かず運動不足だったり、
寝不足などで体が冷えていた時は、
お腹の動きが止まるように感じました。
自分(の体)に聞いてみる、
っていう感覚がわかってくるようになりました。

以前だと、何日も便が出ない時の最終手段は薬でした。
そういう選択が
いつのまにか自分の中に無くなっていました。

そして、皮膚が少しずつできてきて 自分の感覚として
「よし、ここで一気に皮膚の整えだ!」
というGOが出てから、
れのあの化粧品シリーズを使い始めました。

ドロドロの時は正直何も塗る気になりませんでした。

どれも楽しいぐらい皮膚代謝が目に見えて、
皮膚が強くなりながら整っていく感じがありました。
化粧水の保湿力、エッセンスの再生力、
クリームの安心感、泡シャンプーの理解感(涙)、
泡パックのあの優しいしっとり感にツルッと感!
アラゴナイトカルシウム、玄米もお世話になりました!
 

アトピー爆発から丸4ヶ月でしょうか。
真っ赤→リンパ液吹き出し
→乾いてカユカユ、剥がれてカユカユを、
4巡しました。

笛木さんが本で言われていた通り、
大掃除が終わった後の肌は、
アトピーの前よりきれいでツルピカになりました。
本当にツルピカ!
このツルピカ感は
れのあのスキンケアの力が大きいと思います。

食事の見直しで体は自然に痩せて、
カルシウムと足踏みで体温は上がり、
肌はツルピカになりました。

髪の艶も良く、
抜けてどこかにいっちゃっていたまつ毛も眉毛も、
しっかり濃く戻ってきました。

爪も、特に足の爪は昔からガタガタで
形が無かったりしていたのが、
見事につややかな綺麗な爪に生まれ変わりました。
これにはビックリ。

生理痛もいつのまにか消えていました。
生理って痛いものだと思っていました(笑)
とても冷えていたんですね。

症状とも認識せず、
当たり前になってしまっていたことが変化していった時に、
「実はアトピー以外にもいろいろ症状があったんだ。
アトピー治しのつもりが、身体治しをやっていたんだ!」
と身を持って気づかされました。

内臓から皮膚まで、
自分の細胞すべてが生まれ変わるような
壮大な体験だったなぁ、
としみじみ思いました。

そして、アトピー最終章「顔のニキビ」も体験しました!
ニキビが出た時、一瞬「えっ?嫌だなぁ」と思ったのですが、
すぐに「最後はニキビで終わる」を思い出して
嬉しくなってニヤニヤに変わりました(笑)

 

5.アトピーを克服して人生がガラリと変化

そして5ヶ月ぶりの仕事復帰の初日。
緊張しました。社長やクライアントさんに挨拶に行くと
なんとなく顔全体が変わっている私に、
男性陣(私以外関係者は全員男性)は
一瞬戸惑っていました(笑)

皮膚が綺麗になったので、ノーメイクになりましたが、
自然と人の前に強く立てるようになっていたと思います。

仕事に復帰してからは、
たまに帰りに友人と外食を楽しむようになりました。

なるべく体に優しい素材を扱っている
カフェやレストランを選びましたが、
パスタやパンなど小麦粉系のモノを食べると、
その日や次の日に、
いつもと体調が違うように感じるようになりました。
体が冷えるなぁ、ちょっと便秘っぽいかな?とか。
お土産でいただいたお菓子を食べた後なども、
便が出にくくなったりしました。

アトピー治療前は、
便秘になっても何も考えませんでしたが、
治療を始めてからは自分の体に聞くようになりました。

小麦粉など体に良くない食べ物の話はいろいろ聞きますが、
「やっぱり控えたほうが良いんだな」
と自分で分かるようになりました。
なので、粉モノや添加物の入った食べ物は、
改めて気を付けるようにしました。

復帰した仕事の現場で、アトピー治療話、
いかに食事が大切か、人の体のメカニズム云々、
思わず語り続けることが多くなりました。

休日に行ったオーガニックカフェで、
オーナーさんとお話しをしたら
「うちの常連さんで
アトピーに苦しんでる若い女の子がいるんだけど、
相談にのってもらえない?」
「はい、喜んで」の運びで、
私の経験を伝えたりもしました。

アトピー体験を話す機会は徐々に増え
「アトピーは治るんだ!」と感動した様子で
ステロイドに頼らず
なんとか乗り越える人も出てきました。

気づいたら私の経験が
アトピーで苦しんでいる人の役に立ったんだ
と実感することが増えてきました。
 

仕事は、復帰後4年間務めさせていただきましたが、
ライフスタイルも人生観も、
ものごとの優先順位もガラリと変わり、
意識が「心とからだ」のことに向く時間が多くなってきた頃、
職場を卒業する運びになりました。

同時に、結婚と出産。
産後のイライラ、心身の混乱が続いていた頃
「呼吸法」に出逢いました。
受けてその日に、出産以来初めて
やっと体が楽になった感触を覚えたのです。
とにかく気持ちよかったのです。
久しぶりに優しさが戻ってきたのです。
そのまま自然な流れで
呼吸法のインストラクターになりました。

呼吸法が終わって、ゆるんだ表情の方を見るたびに、
あぁ、アトピーさんにやってあげたい!と思います。
私自身がアトピーで苦しかった時、
自分をゆるめる方法を知らなかったからです。

私は自宅で改善できたけれど、
重度のアトピーさんは
自分で自宅でケアするだけでは改善しきれないと聞きます。
あんなに大変だった私のアトピー。
でも、もっと大変な人たちがいる。

アトピーが消えた後、
今度はアトピーさんを支える側に立ちたい
と思い始めました。

 

そして今、アトピー治療を振り返ってみて、
「あの時、私はひとりじゃなくて本当によかった……」
と、心から感じています。

社会に出てから、ひとり暮らしもあったのですが、
当時は久しぶりに実家に戻っていました。
何から何まで両親に助けてもらいました。
だから乗り越えられました。

あの時わたしと過ごして、
私の治癒方針そのままに協力して支えてくれた両親に、
心の底から感謝しています。

そして両親・家族の他、呼吸法の師匠やお客様、
いま直接関わりのある人や物はもちろんなのですが、
私の体、細胞さんたち、経験、
人生の路線をカチッと切り替えたアトピー体験、
そこに導いてくださった笛木さんの本!
書かれた笛木さん!本に関わったすべての方!
アトピーの原因になった仕事のストレス!
って、もうどこまで遡ってお礼を言えばいいのだか……。
本当にありがとうございます。

改善をきっかけに、
自分・生活・仕事・関わる人たち、
すべてがガラリと変わりました。

アトピーのおかげで、
自分らしく人生を生きるようになりました。

そんなふうに変化していった私のアトピー体験。
すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

 

6. 体験談で紹介した本

自分の力でアトピーが消えた

自分の力で アトピーが消えた!
笛木紀子・著(講談社)
 

<アトピーくらぶ れのあより>
*アトピー性皮膚炎に関する治療やお薬に関する見解は、
医師または本人の責任にてご判断ください。
*本文記載内容(写真含む)の転用・複製をお断りしています。
*体験談の中には、現在れのあが行っている施術・設備とは
一部異なる部分があります。
また、食事の理論や生活全般に関するヒントも
当時とは異なる部分もあります。
*最新の情報は、セミナーにてお伝えしています。(更新日:2017.05.12)
 

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