私は誰なのだろう

富山生まれのお年寄りがいる
施設に来る前、がん治療の後遺症で髪が生えなくなったという
数年前、転んで骨折して入院した、しばらくは脚を痛がっていた

けれども、90代半ばになり、この頃、元気になっている

今も、富山で暮らしている話をしてくれる
朝、昼、夕方と、挨拶に行くと、日に日に顔見知りになった

硬かった表情が、今は、笑顔で迎え入れてくれる

こちらのお年寄りにとって、わたしは誰なんだろうなぁ
ご近所さん親戚友達
こんなに笑顔になって、お話しが止まらなくなる

こうして、こうして、こうやったらええと思うとか、遅かったねぇとか、
ご飯食べて行きなさいとか、畑の心配をしたり、いろいろ話してくれる
きっと、私の登場人物設定は、コロコロ変わっているのだろう

認知症のこの方、嫌なことは嫌だと怒る
楽しくなると、あははと笑う
カメラを構えると、優しくほほ笑む
とても素敵なお年寄りです

介護の勉強をしてきた人は、認知症とは、こういうものと、理解して上手に話している
スゴいなぁと感心する
わたしは、そういう基本がないけれど、癒やし、癒やされるといいなぁと思う

お話しが出来るお年寄りは、食べものを細かくすり潰さなくても、割と普通のご飯が食べられる

笑顔に会えて、おしゃべりをして、そんな時間がありがたくて、
こんな言い訳をして、お年寄りとの時間を楽しんでいる

その為には、私も元気にしてなくちゃと、毎日の生活に張りがでる

そして、今日も話に花が咲くと、ホッと安心している

少し前、看取りのお年寄りが終わりをむかえた
看取りが終わるとき、お年寄りの命の終わりを示す
何度も経験してきたけれど、いろいろあって、終わると喪失感と張り詰めていたものからの解放がある
葛藤や緊張が解け、眠りこけて充電する時間が必要になる時がある

穏やかな変わらない毎日と、看取りのお年寄りがいるとき、同じような感覚で過ごすことは難しい

だからこそ、日々、身体と心を整えて、楽しみながら生活していきたい