乳がんとアトピーを経験した管理栄養士・朋子のブログ

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    おわりの少し前に

    老人ホームで働きはじめたばかりの頃、顔を見ると声をかけてくれるお年寄りに、励まされていた

    わたしの姿が見えてくると、遠くで、両手を双眼鏡のように丸くして、おどけてみせて
    傍へいくと、あははっと笑う、とてもお茶目なお年寄りでした

    こんにちはと声をかけると
    “今日は勤めかね?がんばってね”
    声をかけてもらっていた日常に支えられていた

     

    その方はいつも、車椅子に座っていて、移動するときは、ゆっくりと自分でこいでいた
    ちょっときてと言うのでついていくと、ここがわたしの寝床だよと、お部屋を教えてくれたこともあった

    だんだん、自分で車椅子をこぐ力はなくなって、家族に車椅子を押されている姿を度々見かけた
    わたしを見つけると、遠くから手を振って
    “わたしのね、自慢の長男とお嫁さん”と嬉しそうに、いつも話しかけてもらった

    体の小さな方で、元々少食だったけれど、だんだん、だんだん、
    ひとくち、ふたくち、果物だけを口にするくらいに、なっていった

    スプーンをお口へ運ぶお手伝いを、しようとすると、黙って手で払いのけた

    何も食べなくなって、家族が会いに来たとき、たまたま一緒にお部屋へ行った
    大好きなお孫さんが、“おばぁちゃん”と声をかけて、手を握ろうとすると、やっぱり払いのけた
    その日の夜遅く、呼吸が止まったことを、翌朝知った

    急いでお部屋に行って、家族にお会いしたら
    さいごは、しっかり手を握ってあげられたよと、泣きながら微笑んでいて、わたしも泣き笑いをした

     

    自分の死を考えると、遠ざけたいし、怖いと思っている
    けれども、死は避けられない出来事、避けなくていい、そこにあるものとして、教えてくれている

    100年近く生きてきたお年寄りの、おわりの少し前の時間、ここで過ごす間、傍にいさせていただける人でいたいと思う

    ピンクのドレス

    先月、ウェディングドレスを着て、写真撮影をしたとき、ピンクのドレスも着ました
    まさか、ピンク色のドレスを着るときが来るとは、数年前は考えられなかった

     

    だって、ピンクなんて大嫌いだったから
    けれども、本当は、大嫌いは大好きの裏返しだった

     

    短大を卒業して、給食会社へ就職、病院の厨房で働きはじめてから、腕や足、顔など、体中にアトピーが出ました

    女性らしさが苦手、ふわっとした、淡い色の洋服、特にピンク色は避けていました
    わたしなんかが、可愛らしい洋服を着るのは、恥ずかしい…
    いつも、トレーナーとジーパン姿でした
    洋服だけでなくて、心もやさしくしたり、されたりすることを避けていたように思います

     

    乳ガンを経験して、ガンとは何ぞやと、はじめは教科書のような本を読みあさり、
    そのうちに心、性、スピリチュアルなことまで、たくさんの本を読みました

    あるとき、女性性と言う言葉を知りました

    いつの間にか、わたしの中の女の子な感覚、感情を封印していたことに気付かされました

    選ぶものを変えたり、女の子らしさを大切にしている友人と付き合い

    女性性とは、女性として生きること、ありのままの自分で生きる勇気だと解釈しました

     

    ピンクのドレスを選んだのは、夫と両親でした
    着てみると、堂々とした立ち振る舞いと、ウキウキした気持ちになって、本当に幸せな時間でした

    ドレスを着ること、いくつになっても、楽しくて嬉しいことですよ

    結婚へ導いてくれた、食事の時間

    ひとり暮らしをはじめてから、月に一度は、実家へ帰っていました
    両親と3人で食べる食事の時間は、とても楽しくて、リラックスする時間へと変化していました
    同居していたとき、当たり前の日常が、とても大切な時間だったことに気が付きました

    私にとって、新しい生き方とは、自由に、楽しさを優先することでした
    自由に楽しく、はじめての経験を積むことが出来たけれど、何だかんだ上手くいかなくて、
    再び社会復帰をしたとき、それだけでは駄目じゃーんと、考え方を改めました

    結婚するとかしないとかは、置いといて、人としてちゃんとしようと決めて生活をやり直しました

    遅刻はしないとか、朝は踏ん張ってちゃんと起きるとか、
    社会の中で当たり前のことを、病気を言い訳にして、出来ていなかったのです

    時間の認識が整っていくと、人との信頼関係が出来ていきました
    そして、職場の先輩から紹介があってお見合いをしました

    夫へはじめて手料理を振る舞い、ふたりで食べたとき、家族と食事をするときのような、温かい雰囲気を感じました
    結婚してから、今も、一緒に食事を食べる時間に幸せを感じます

    そして、夫は早起きが得意です
    よく寝るねぇと、週末になると笑われています
    わたしは、人並みに起きられるようになったけれど、更に高みを目指さなければと思う日々です

    健康観の変化と共に、恋愛も変化した

    わたしの20代は、よく働き、よく遊び、恋愛もしていた

    アトピーの出ていた皮膚は、皮膚科へ通って、薬を塗ったり飲んだりして、痒みと赤みを抑えていました

    朝は3時起きで出勤して、夕飯時に帰宅、翌日休みでもゆっくりすることなく、出掛けていった
    日常的に睡眠不足、便秘がち、やっと出たとしても小動物のようなコロコロうんち、生理痛は毎回ひどくて、痛み止めを飲まずには、いられなかった

    体は、たくさん悲鳴を上げていたのに、無視し続けて、何にもわかっていなかった、過去の自分がいます

    現在の自分とは、体質、薬に対する考え方が、まるで別人です

    わたしは、乳ガン治療が辛かった、再発するのか怖くてたまらなかった、死から遠ざかるために、体質改善に必死で、取り組む必要があった、はじめは、ただただ、生きるために何でも必死で、のめり込んでいった

    1度目の乳ガン治療のとき、30代の前半でした
    当時お付き合いしていた方がいました

    しかし、ガンサバイバーとしてホノルルマラソンへ参加したり、れのあ式を始めてからは、病気を公表しながら、体質改善に励み、生活習慣を変化させていく私の思いきった姿に、周囲は困惑していきました

    ホノルルマラソンを経験して、日本に帰国すると、
    それまでは出会ったことがなかった人達と出会うようになりました
    それは、刺激的でした

    ガンになった環境を全て変えなくてはいけないと、
    食生活、仕事、人間関係…怖いほどに、変えることに執着して、実行していきました
    彼との付き合いは終わりました

    新しい食生活、新しい考え方、新しい人間関係、新しい生き方へ向けて
    進んでいたから、彼と一緒に過ごせなくなった
    別れたばかりは辛かったけれど、彼の言いなりになっていた自分を止めることが出来てホッとしていた

    あれから、10年近く恋愛から遠ざかるなんて、当時はそこまで考えていなかったけれど
    恋愛なし、結婚しないかもなぁと決めていると、生きるのが楽でした

    ひとりでいたら、人に振り回されたり、振り回したりしないだろう
    れのあ式を説明しなくても、好きにやっていられる、好きなように玄米や雑穀を食べられる

    ひとりで生きることは、楽な生き方になっていきました

    ウェディングドレスを着た日

    ついにこの日が、やってきました!

     

     

    晩婚のふたりでしたが、両親にウェディングドレス姿を見せたい願いがありました

     

    結婚して1年がたち、願いを叶えることが出来ました

    肩を出したドレスを選び、お化粧も髪もおまかせでする事が出来るなんて、数年前の私の考え、夢に描けないことでした

    肌を露出すること、自然派でない化粧品を使って、目元のお化粧をしたり、チークをしたり、髪にはスプレーかけたり、全てが非日常なことでした
    お化粧中に痒くなったり、終わってからも、肌が赤くなったり、荒れたりすることなく、強い皮膚になったことが誇らしく感じました

     

     

    2度目の乳ガン治療が終わり、職場に復帰したときは、ひとりで生きる覚悟をしていました

    職場の先輩からは、食事くらい一緒に出来る人が居た方が良いよ、気が合いそうな人が居るよと、お仲間のひとりを紹介してくださり、夫とのご縁になりました

     

    アトピーも乳ガンも経験していなかったら、もっと早く結婚していただろうか?
    アトピーも乳ガンも経験したから、わたしは、今の幸せな結婚に繋がったと思っています

    アトピーと乳ガンを経験して、恋愛や結婚を諦めていました
    けれども、結婚を決めたとき、ウェディングドレスを着たとき、家族の涙や笑顔がありました

    今までの、恥ずかしい想い出諦めたこと妬んだことこだわりなど、過去の自分が思い浮かびました

    これからは、少しずつ、恋愛の心境変化も書いてみたいと思っています