YouTubeで動画を公開しました。『綺麗になりたい!人生をかけてアトピーと向き合い続けた私が、アトピーくらぶれのあをつくった理由』

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綺麗になりたい!人生をかけてアトピーと向き合い続けた私が、アトピーくらぶれのあをつくった理由
「なぜ、薬を使わずアトピーを改善する道を39年間も歩み続けてきたのか?」
この動画では、「アトピーくらぶ れのあ」代表 笛木紀子 が、人生を変えた“あるアトピー患者との出会い”と、現在まで続く活動の原点を語ります。
10代のころのコンプレックス、エステシャンとしての出発、重度のアトピーを抱える少女との出会い、ステロイド治療への葛藤…
すべてが、現在の「薬に頼らないアトピー改善」の道へとつながっていました。
💠こんな方に観ていただきたい動画です
・アトピーで悩むご本人、ご家族
・ステロイドに頼らず、根本改善を目指したい方
・アトピー専門の支援を本気で探している方
・同じ悩みを抱える人の力になりたいと思っている方
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動画の解説
📌動画の見どころ
00:18|アトピー改善に人生をかける理由は?
01:09|運命を動かした瞬間は?
03:02|人生を大きく変えた出会いは?
05:26|さらなる挑戦を続けた先には?
06:50|人生の方向を決めたショックな出来事は?
08:28|39年間揺らぐことのない使命感の源は?
11:04|エンディング
私はブスでした。
どれくらいブスかというと、チビ・デブ・にきびで良いところ無しの学生時代を過ごしていました。
新潟県出身です。
寒い地域の子で体温が低い子は足が太いと今でも思い込んでいます。
寒いから脂肪をつけたり、毛深くなって保温する。そんなふくらはぎの持ち主でした。
何を言いたいかと言うと、ものすごくきれいになりたかった。
それが私の原点にあります。
だから20歳で仕事を選ぶとき、エステシャンになりました。
本当は建築の事務員として採用されていたのですが、初日勤務の昼休み、「徹子の部屋」を見ていたら、CMのテロップに「米坂サロンドエステティック」とあり
脱毛・痩身・美顔と数々私の興味のある言葉が並びました。
そして最後にエステシャン募集とありました。
私はその場で会社にあるピンク電話に10円玉を入れて面接の申し込みをし、会社をさぼり翌日は面接、翌週からお勤めをしていました。
それからサロンの終了時は自分をきれいにするために同僚と技術のやりっこをしていました。
その後結婚の為に、名古屋から東京に移動し、新しい「ジャパンエステティック」というサロンにお勤めしました。
22歳になっていました。
そこで、まるで原爆にでもあったかの様な頬をした竹村裕子という女の子に出逢いました。
彼女は池袋に住む19歳のモデルの卵さん。
頬にできるにきびの為にモデルの仕事がもらえなくなるのではないかという恐怖から
ベトネベートというステロイドを化粧下地として半年間使用したある朝、燃える様に熱い顔に目が覚め鏡をのぞいたら、驚く状態の皮膚になっていたそうです。
その人へのケアは先生が中心にやっていましたが、スタッフみな協力的でした。
横浜から池袋までの交通機関、人の目にさらされるのがいやだと言う彼女をスタッフみんなで自宅に変わりばんこで泊めたり、金銭的に支払えなくなった彼女に掃除というお手伝いをしてもらってケアをしてあげたりしていましたが、43年前のエステの技術で改善するはずはなく、頬にケロイドは残りました。
その経過の中で、池袋に帰って来ないという事で、会いに来た彼という人が、サロンの待合室に来た時、彼女の顔を一目見て唖然とし、一言、二言交わし、去っていきました。
お付き合いは終わったのです。
彼女の一生懸命涙を我慢する顔と、ぼう然と見送った場所を、今も温度さえ感じるほど覚えています。
その後、エステに材料を卸すメーカーから声をかけてもらった私は、彼女も一緒なら働くと、とんでもない申し出をし、それは何と了承され、彼女の顔の跡をその会社の持つ材料で改善せよ!という至上命令を受け、私と彼女の共同作業は始まりました。
もうお金の心配もなく心おきなくケアできたはずなのに、ケロイドの修正はそんなに簡単なものではなく、1年後失意の元に故郷に帰っていきました。
長くなりましたが、私をスタートさせた出来事です。
一人の人の人生がステロイドという「緒刃の剣」により大きく方向転換しなくてはならなかった事実。
それを目の当たりにした私はステロイドを長期使用させる皮膚科に深い疑問を持ち39年前、絶対につぶれない会社経営をすると意気込み、その頃一世を風靡していた「たかの友梨ビューティクリニック」のフランチャイズ店として町田店をオープンし、本部とは全く違うフェイシャルの技術でコソコソとアトピーのケアを続け、7年後アトピー専門店として独立し今に至ります。
目の前で痒みと戦う人たちの苦しみを理解できるとはとてもいえません。
アトピーという病気は、どこから手をつけて良いかもわからないほど様々なところが痛み傷つく難病で、それを個人で必死で耐え抜いている人たちの力になりたいとずっと暗中模索の中必死でやってきた人生です。